イギリスがEU離脱を決意して以来現在もなお、EUとの離脱交渉案が議会の承認を得られず難航しています。
もはや残された時間はありません。そのためこのまま離脱強行派により「合意なき離脱」が強行されるかと思われた矢先に、何と1票差で「合意なき離脱」を阻止する法案が下院で可決されました。
本稿ではイギリスのEU離脱交渉が難航している理由を北アイルランド問題も含めて解説し、更にギリギリの今になって「合意なき離脱」を阻止する法案が可決されたことの意味についてお話して参ります。
はじめにイギリスとEU、両者の思惑から見てみます。
イギリスとEU、両者の思惑
■イギリスの思惑
イギリスとしては一定の分野での協調関係はこれまで維持してきたが、もともとEUの監督下に置かれるつもりはなく、今や民意で離脱が決まったのだからさっさと手切れ金を払ってでもEUとは手を切りたい。
その上で国家主権を回復して、移民問題の解決をはかり、巨額の拠出金からも解放され、他国との貿易協定の締結など、自由に外交政策を推し進めていき、EUの規制によるこれ以上の国益の毀損を抑止すべきとの意見が勝っているように思われます。
■EU側の思惑
一方、EU側としては当初数カ国だった組織も段階的に拡大してゆき、通貨も統一し、外交や安全保障、司法協力などの取り決めも加え、ようやく強大な「ヨーロッパ連合国家」として統合しようという時に、イギリスのような主要な国に抜けられて水をさされては他の加盟国に対しても示しがつかない。ここはなんとしてもイギリスの離脱の流れを阻止したいというのが本音ではないでしょうか。
ここですんなりとイギリスの離脱が成功すると他の加盟国にも影響を及ぼしEU離脱ラッシュが起こりかねません。
EU組織内部の肥大化した官僚主義に対する批判や今日のポピュリズムや超保守派政党の台頭により離脱する恐れのある主要な加盟国は少なくありません。
EUとしてはイギリスが離脱の結果大きな不利益を被ったという状況になれば、これに越したことはありません。他のEU加盟国に対する見せしめにもなります。当然イギリスに対しては離脱交渉も含めて厳しく応対することになります。
それではイギリスとEUの間にはどのような合意があったのでしょうか。
イギリスとEUの離脱協定の内容
両者の取り決めの内容は大方以下の様です。
●北アイルランドとアイルランドの国境に出入国、通関手続きを復活させないための「バックストップ(防御策)」に関すること。これは20年末の移行期間までに解決策が見つからなければ、北アイルランドを実質的にEUに部分残留させる条項を盛り込んでいます。
●EU離脱のための清算金、およそ390億ポンド(約5兆7000億円)
●EU加盟国の人たちと英国民への影響に関すること
●英国とEUとの通商協定の締結と関係企業に準備期間を与えること
●離脱後のイギリスとEU間における関わりに関する事項。移行準備期間の設置等
このような取り決めについてメイ首相は議会の承認を得る必要があります。ところが2019年3月末まで3度否決されています。
その理由として反対派は取り決め内容についてイギリス側があまりにも譲歩しすぎていることと、さらに最大の拒否要因として北アイルランドの国境問題を挙げています。
この取り決めのバックストップ条項により、英国がEU離脱後もEUのルールに規制されかねないし、最悪の場合には北アイルランドはEUを通じてアイルランドに割譲するに等しくなるとしてEUに批判的な離脱強行派により否決され、今日に至っています。
それではこの北アイルランド問題とはどのようなことなのでしょうか。
北アイルランド問題とは
19世紀初頭イギリスはアイルランド全島を併合しました。しかしその遥か以前からアイルランドにはイギリスやスコットランドからのプロテスタント系の移民が多く移り住んでいました。
移民は比較的に北部に多く、アイルランドがイギリスから独立した時も彼らはイギリスへの帰属を望み、結果的に北部6州は「北アイルランド」を称し、現在もイギリス領土となっている経緯があります。
ところがこの土地に土着しているカトリック系のアイルランド人は古くからイギリスからの独立を目指しアイルランドに帰属しようという反乱を繰り返し、鎮圧部隊との衝突やテロ事件では多くの犠牲者を出してきました。
その後、イギリスとアイルランドの両国が1973年にEUに同時加盟すると北アイルランドとアイルランドの国境には関税や通行上の障壁が無くなり相互に自由な交易により経済的な安定が得られるようになりました。
1990年代に入るとアイルランドは奇跡的な経済成長を遂げています。それはEUからの莫大な援助のせいもありますが、アイルランドの公用語が英語であることも幸いしています。
もともとアイルランドの貿易はアメリカとイギリスに大きく依存しています。EU域内では法人税も人件費も安いので、多数の英語圏の外資系企業が生産拠点をアイルランドに置きました。
こうした言語の点や経済面の関わりをみてもイギリスとアイルランドは歴史的に仲が悪いけれども、相互に断ち切ることのできない程に深い依存関係があります。そして今や北アイルランドにしてもイギリスにとっては手放すことのできない重要な経済圏に成長しています。
その後1998年の「ベルファスト合意」によりアイルランドは北アイルランド6州の領有権の主張を放棄し、テロ事件は小康を保っていますが、北アイルランドの自治政府は空中分解するなど、現在に至っても北アイルランド内における独立派とイギリス帰属派の宗派同士の対立は根深く存在しています。
北アイルランドの過激な独立派はイギリスのEU離脱により、北アイルランドとアイルランドとの国境に障壁が築かれた場合、再び過激な行動を起こすことを示唆しています。
メイ首相の思惑
メイ首相はイギリスがEUを離脱することが国益にかなうことは明確に洞察していました。その上合意なき離脱がもたらす最悪な状況も熟知しています。しかし民意により事ここに至った以上、立場上離脱に伴う混乱を最小限にとどめた上で離脱しようという思惑があります。
そのために一筋縄ではいかないEUとの交渉に最大限の努力をして漕ぎ着けた合意が議会の不承認という事態に遭遇しました。これはといった代替案もすべて除かれ、妙案も無く八方塞がりの現状でした。北アイルランド問題はイギリスにとっては「厄介事」として立ち塞がりました。
強行離脱派は合意なき離脱を声高に主張していましたが、それにより生ずる雇用、物価、投資、生産性、貿易、通商、交通、物流などに降りかかる影響についてどのように考えていたのでしょうか。
しかしながらこのような影響も避けられそうな気配が見えてきました。
「合意なき離脱」を英議会が阻止!
議場は大きくどよめいたことと思われます。
2019年4月4日イギリス下院は「合意なき離脱」を阻止する法案を僅差で可決しました。賛成票 313、反対票 312。わずか1票差で法案は下院を通過しました。
この数字から下院の「強行離脱派」の与党保守勢力がいかに強力であったか知ることができます。彼らは来週にも合意なき離脱を強行するつもりでしたが、わずかに1票の差で阻止されたのです。
この意味するところは、「悪い合意」の下での離脱は勿論賛成できないが、かといって合意なき離脱による大混乱は避けたい。ここはなんとか「有利な合意」を取り付けた上で離脱すべきと考える人が過半数を超えたということになります。
この結果を受けてメイ首相としては期限ギリギリの議会承認の望みは断たれ、EUに離脱期限の延長を要請し、再交渉に臨まざるを得なくなります。
EUがその要請に応ずるかどうかにかかってきます。本来ならば一体となって首相に協力し施政に取り組むべきはずの政府与党がこれほどまでに分裂していたわけです。
しかし少なくとも「合意なき離脱」による混乱は避けられそうな状況となりましたが、離脱強行派がこの後どのような行動に出るのかは予断を許さないところがあります。
おわりに
今日は混沌としたイギリスの離脱問題と北アイルランドの歴史的経緯について解説して参りました。
議会制民主主義の発祥の国のその議会の一挙手一投足が国際社会の注目を浴びています。
ただいたずらに反対、反対と大騒ぎをして首相交代を強く求める与党議員に対しては、首相の不信任決議を提起する前に問題の解決策、特に北アイルランド問題解決の妙案を自ら捻り出し、首相と国民に提示するのが先ではないかと考えます。
行動の裏に隠された思惑はともかく、与党に属する議員としての恥ずかしくない行動が望まれます。不信任決議で首相を交代したところでEUとの交渉が有利に進展したり、問題が解決するわけではないはずです。
イギリス国民が一致団結して知恵を絞ってこの難局を乗り越えなければならない時です。洗練された先進国の一員としてのイギリスの品格ある対応を世界に示して欲しいものです。