アラブの春とは、その後の経緯と状況、及び周辺諸国への影響について!

つい最近、香港が市民による100万を超える大規模デモで政治が危機的状況になり、香港当局は原因となった条例改正案の審議を延期するという騒ぎが起こりました。

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この事件に重なって過ぎ去りし中東諸国で起きた「アラブの春」のことが思い浮かびました。

今でも時々見かける言葉「アラブの春」とはどういうことなのでしょうか。

「アラブの春」という言葉には「エジプト」や「リビア」、「中東」や「失敗」などというキーワードが常に関わってきます。

本稿ではアラブの春とは何か、またその後の経緯と状況、及び周辺諸国への影響について分かりやすくまとめてみました。

アラブの春とは

2010年代に北アフリカとアラブ諸国に大規模な大衆デモが広範囲に同時期に発生し、それにより体制が覆ったり、或いはそのデモが鎮圧されて失敗に終わったりといった事件が起こりました。アラブの春とはこの一連の騒動を指しています。

その根底には国民の失業問題や物価高騰への怒り、ひいては強権支配への不満及び自由と民主化への要望があります。

アラブの春はチュニジアのジャスミン革命が発端となって一気に周辺諸国に拡散していきました。

ジャスミン革命とは
2010年12月、チュニジアで一人の青年が政権に抗議をして焼身自殺をしたことに始まります。

この事件はたちまち国中に広がり、経済の停滞と失業者の増大、物価の高騰に苦しむチュニジア国民の政権に対する不平、不満、怒りが爆発し、国中の大規模なデモに発展しました。

チュニジアのベン・アリー大統領は就任以来、民主主義と人権に配慮した施策を採り、国民からもそれなりの高い支持を得て5期、23年に及んで政権を維持しました。

しかしその末期は、失政による物価高騰、失業者増大、加えて一族による利権の独占や麻薬、腐敗といった長期政権の弊害が顕れ、国民の怒りにより、23年の長期政権もあっけなく崩壊しました。

この時の政権崩壊劇がジャスミン革命と呼ばれています。   この年、日本では、3月11日に東日本大震災が起こり、5月にはアメリカではオバマ大統領がビンラディン容疑者を殺害したことを発表しています。

その後の経緯

治安を維持する当局としては、デモが拡大しないように戒厳令を敷いたり、情報の規制や集会の禁止などにより取り締まることになりますが、それが機能しない状況でした。

デモの規模が大きすぎた
国民のほぼすべての階層の人がデモに参加し、前例のないほどの人数に膨れ上がりました。

デモは当初、個々の政策や不満に対するものでしたが、当局がデモに対して厳しい弾圧や発砲で応じた事により、政権自体の退陣を目的とするデモに変わっていきました。

当局の情報規制が追いつかない
当時は安価なスマホが出回り始めており、facebookやtwitterなどのSNSも広く利用されていました。これによりどこで何が起こったのか、どんな状況なのかがリアルタイムに知らされます。

スマホはイスラム諸国ではすべての階層で所有しており、話し好きの国民性からか生活には必須のアイテムのようです。

集会の禁止が不可能
イスラム的な宗教的儀式が催されることで同志が集まる機会と場所が常に存在する。このような国民的な儀式は当局も取締ができない。

こうした環境的な条件がそろってジャスミン革命は周囲のイスラム諸国に拡散していきました。

その後の状況

革命に成功したり、失敗した国もありました。また成功しても外部の勢力の介入により前よりも政治が悪化した国もありました。

その上、多様な思惑を秘めたあちらこちらの勢力の介入により全く訳の分からない状況になっている地域もあります。

2011年~

1月:チュニジアのベン・アリー23年政権崩壊
ベン・アリー大統領は宗主国のフランス亡命を希望するも拒否され、サウジアラビアに亡命する。

革命後は、現在に至っても国際機関などからの支援は治安や国防に費やされ、外国からの投資の誘致や本来の観光業の振興などに回せず、経済の立て直しができないでいます。

2月:エジプトのムバラク30年政権崩壊
ムバラク大統領はデモ隊の殺害の関与により終身刑となったが、やり直し裁判により最終的には事実上の無罪となった。

革命後の政府は軍部のクーデターにより倒され、現在も軍事政権が続いています。

8月:リビアのカダフィ41年政権崩壊
ジャスミン革命の影響によりリビアに内戦勃発、多国籍軍の介入により崩壊。市民革命というよりもカダフィ政権に危機感を持った欧米の特定勢力の水面下における介入が噂されています。

周辺諸国への影響

その後もアラブの春は終息せず、周辺諸国に拡散していきます。2012年に入るとシリアが内戦状態になり、アメリカ、ロシア、イラン、トルコなどがそれぞれの思惑のもとに介入し、泥沼の状態になっています。

イエメンも混乱しており、現在も内戦中でサウジアラビアとアメリカ対イランの代理戦争の場となっています。

バーレーンの大規模デモは、バーレーン政府の要請によるサウジアラビアを中心とする軍事介入により鎮圧されました。

その他西サハラ、モロッコ、ヨルダン、クウェートなども同様の騒動が起こり当局と衝突がありました。

そして混沌として力の均衡が崩れた地域に過激派組織、イスラム国が起こり、今日の結果に至っています。

おわりに

中東は現在も複雑にモメています。これはアラブの春が発生する遥か以前から欧米列強が関与していたことも大きく影響しています。

リビアなどは多数の部族で構成された国であり、部族同志の対立も激しく、それを統括するカリスマが排除されるや、たちまち独善的な浅ましい利権争いが勃発し、そこにイラクを追われたISの参入などにより未だに混乱が収まる気配がありません。

イスラム圏諸国は同じイスラム教であっても複数の宗派が存在し、宗派同志の激しい反目がみられることに特徴があります。

この宗教や宗派上での対立という難題への解決策を見つけ出すことは中東の安定のためにも、今後に残された重要な課題と思われます。